こばし鍼灸(掃骨)院 | 日記 | #99.《掃骨鍼法はコロンブスの卵》 再掲

キズを以って傷を制す。線維芽細胞たちの再性能を最大限に活かす《鍼は世界で最も小さな外科処置》

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こばし鍼灸(掃骨)院 の日記

#99.《掃骨鍼法はコロンブスの卵》 再掲

2021.05.19

                                                    鍼灸院の口コミサイト「しんきゅうコンパス」 リンクボタン
掃骨鍼法はコロンブスの卵』は医道の日本1996年10月号に掲載され、2003年に『ひとを治療するということ~43人の東洋医学臨床家の治す悩み克服法』に収載されたものです。
 今、読み直しても、技術・心意気の面でも引けをとるところはなさそうです。
ただこの時点では《 Fascia、結合組織ConnectingTissuesFascia~筋膜Myofascia~線維芽細胞 》などの概念が殆ど有りませんでしたから、鍼灸の効果については直近の記述に譲ります。どうぞご了承ください。    研珠庵アキュ 小橋正枝

  【掃骨鍼法はコロンブスの卵】  
『医道の日本』1996年10月号<第626号> 掲載分』 言葉遣いの一部を編集 
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 「ハリ」の存在価値、鍼灸師の存在理由とはいったい何なのだろう…。
自分の仕事に自信と誇りを持ちたくて、また本当にお役に立ちたくて、そう考え続けてきた。
 そこで、患者さまとのインフォームド・コンセントを密にし、共に探り出し行きついた所は『骨』であった。
そこへのアプローチの手段が『小山曲泉流 神経痛掃骨鍼法』

  体重のおよそ50%は筋肉、同じく20%が骨…〆て7割が身体を動かすための装置、『運動器』という訳だ。
 とりわけ、その筋肉は骨に植わっている。多彩なADL(日常生活動作)によって傷つき、汚れ、栄養は持って行かれ悲鳴をあげているのは、他ならぬ骨格であると思い定めて…。

 § まず骨格の治療に取り組む   
 それは80歳のおじいさんの肩と、70歳のおばあさんのお尻から始まった。
「当たらずさわらず」 「しないよりもまし」 「一生懸命が取り得」の域を脱し得ないまま、高齢出産から子育てに突入。
 数年のブランクで、鍼を握るのも億劫になっていた頃、級友が忙しくてダウンし、私にSOS。
 そこで家族の協力を得て、週2回のパートタイマーとして応援に馳せ参じることになった。  
 さて、担当することになった80歳のおじいさんのカルテを繰ってみて、さあ困った。研究熱心な院長だけあって、すでにあの手この手の処方済み。

 「手が替われば・・・」の期待から、患者さまは、「痛みは早うに止めてもらいましたが、左の肩がつかめませんねん。」
こないしたらここが、あないしたらあそこが…とADL(日常動作)の不自由を再現して見せてくださる。
 この患者、医師とのコミュニケーションも良くて、通院の際には奥さまに障害点にマジックペンで印をつけてもらい、局所麻酔も試みているという。 新参の筆者としては、明治鍼灸専門学校(現・明治東洋医学院専門学校)が"他生の縁"で、小山曲泉先生の掃骨鍼法が頼みの綱となった。

 患者の熱心な寛解を望む心と、院長の太っ腹に支えられて骨格の治療に取り組む。
 圧痛点、硬結部は絶好の治療点である。特にしこりは、骨を根っこにして筋中に生えたマッシュルームのようなもの。カサの部分は抜き足差し足、軸の部分も忍び足で、ガツンと根っこに当たったら、そこが師の言う治療ポイントである。
 掃骨鍼法については、確認の意味で後で述べるが、その局所は「飴煮き」(あめだき)を想像して頂くと患者諸氏にも良く理解して頂ける。

 健康な血液はお醤油状、寝ている間にソース状、疲れがたまるとケチャップや煮こごり状になる。
 病巣の「マッシュルーム」は、多くは筋の起始部、停止部、付着部に生じ、煮つまり→おこげ、最悪の場合は素地までダメージを受ける。
 
 治療の仕上げは、患者さまにADL(日常動作)をお試し頂き、つっぱる、痛い、だるい、物足りないなどの自覚症状を対象に追加バリをする。前段が十分なら、これは大して時間はかからない。

 この鍼法は初体験とのことなので、「メンケン(だるさ等)出るかもよ。」と念を押しながら追跡すること2~3回。おじいさんは、「反対側の肩がつかめますねん。仰向けに寝て、こうやって(バンザイの姿勢で)畳がこすれますねん。」と、うれしそうなお顔。
 奈良と言う、少し排他的な所のある土地柄だが、鍼を通して信頼関係が出来上がったお一人目。

 § 灸は大好き、ハリは好みまへん 
 次に印象深い二人目の患者さまは、いつもお手製の着物がしどけないおばあさま。  
 「足が、つろうてつろうて」と言うので見れば、まあ、左下腿を重点に所構わず灸痕だらけ。数は知れず、その大きさも5mmから10mmの黒こげ状態。よく潰瘍にならないものである。 

 さて、このおばあさま「灸は大好き。ハリはあんまり好みまへん…。」  
そうは言われても、これだけすえてあれば、お灸はもうたくさんでしょ。私は、ハリをさせて頂きましょう。刺されるのがお嫌なら、パルスなどを併用して、とにかく血の巡りを良くしましょうと説得したが、なかなかウンと言わない。

 奥の手、切り札が使えぬままの数回目。患者の背中を眺めながら手をこまねいていると、「台所に立っていたら、この辺がたまらんほど、だるぅおますねん」と、左の臀部をさする。
 左右の臀部を触診し、深部を按圧して見るとこれはしかり !! はっきりと左に大きなシコリがあった。それも寛骨(臀点周辺)にべったりとはりつくような……。

 「悪いけどハリ、させてもらえる?」
 「もう、どないでもしとくんなはれ」
…というわけで、お尻をめくれるだけめくらせて頂いて、十分な前揉法で病巣の存在を知らしめてから、2寸5分でも届きにくかったので、中国鍼に持ち替えた。ずいぶん扁平だけど、例のキノコ状の根っこの部分に試鍼。

  「あ、それですわぁ」と、あまり痛がりもしないのでザクザクと掻爬してから、全身療法でバランスをとる。
 メンケンについて再度説明し、3日後にもう一度調整しましょう、と予約をしてお帰り頂いた。  

 さて、3日後。予約の時刻・・・来ない。診療時間終了・・・来ない。連絡も・・・無い。
 さてさて、また寝込んでしまったか?

 一週間後、おばあさんはニコニコ顔で現れた。

 「どうしました?」
 「良かったですねん。あの日の帰り、バスが来たとき、停留所まで走れましてんがな。あんまり調子が良うて、予約のこと、コロッと忘れてしもうて。
 次の日、院長さんにお尋ねして、おうちへ電話させてもらいましてん。そしたら先生まだ来てはらへん言わはって……。」  

 一体、どこの電話を教えて誰と話をしたのやら。笑い話のおまけ付きである。
下駄ばきで裾を蹴立てて走る姿を想像して、心配するやらうれしいやら。
 寛骨の治療で下肢の諸症状が寛解し、掃骨鍼法OKのお二人目。

とは言え、ハリが大好きになったわけではなく、按圧を始めると、
 「ちょっと待っとくんなはれや」
 「ん?」
 「覚悟しますよって。」と言うような会話が続いた。

 このようにして、患者さまとインフォームド・コンセントを重ね、治療にも参加して頂きながら積み上げた症例は、頭のてっぺんから足の裏、指の先まで。  
 これらの症例を解剖図に集めて点描すると、結局は“骨稜をなぞり、関節をなぞり”ということになる。
 とりわけ鞭打ち損傷は、頸椎といわず外頭蓋底といわず、硬縮・癒着が著しいので、経穴にとらわれず術者の触診と施鍼感、患者さまの自覚症を最大限に活かすべきである。
 
 いずれにせよ、押し手と運鍼がものを言う訳だが、患者さまに発言、表現の自由を差し上げれば、それこそ“奥の院の金庫”(といっても歯科領域の虫歯・歯周病)を掻き回してくる位の威力は発揮できる。これは鍼にしかできない。
 皮膚レベル、筋レベルの療法なら、施術者の考えも多彩で、その効果も十人十色であろうが、目標を骨格に定めるときには、実存の病巣に直接アプローチするのだから、再現性は極めて高いと言えるだろう。

 虫歯なら研磨し消毒して、詰め物をしてもらわねばならないが、骨は2年半(令和の現在では7年とも10年とも言われている)ほどの周期をもって再生が可能と言われている。根こそぎのリストラ、リフォームが期待される。

 § 多発性骨髄腫に出会って
 ここまで書き進めた所で『医道の日本』1996年6月号 故島田隆司先生の癌患者の症例報告(「特集・患者からの相談シリーズ〔各論5〕癌(上)」36頁参照)に接し、これほど真剣な取り組みがあったかと、心の引き締まる思いと感激を新たにした。
 筆者にも、それは成り行き上ではあったが、多発性骨髄腫の症例がある。

〔多発性骨髄腫 H.S.(昭和20年生、男性)〕

1994年2月5日
 腰痛を訴えて来院。腰椎~腸骨稜に沿って圧痛および運動痛。
3月6日 腰~下肢の疼痛と運動痛、圧痛著明。脛骨にも異常(浸潤?)があり、治療後にメンケンが5時間ほど続いたのち軽快。
3月28日 人との約束ごとが守りづらいぐらい不調が続く。
 「骨粗鬆症の疑い」によって検査入院。精密検査の結果、多発性骨髄腫との告知を受け、専門書からコピーした約3ページ分の解説を手渡される。
 が、事の重大さを認識するまでには、なお数ヶ月を要することとなる。

  H.S.さんは、仕事の都合や家庭の事情から、入院加療が不可能だったため、縁者である私たちにも助力を求めて来られた。私たちは、東洋医学に造詣の深い医師にも相談した上、いろいろと無い知恵をしぼった。
  食物を選ぶ一方、治療によって湧出してくる老廃物の解毒を助けるため、SOD作用の強い食品、お茶などを積極的に取り入れる。
  (SOD:スーパーオキシド・ジムスターゼ:活性酸素を分解する酵素)
また、ストロンチウム、カリウムなどを含むカーボン治療を併用するなどと試みた。

  しかし、病気の性質上、骨髄の豊富な部分がおいでおいでをするように浸潤していく。
十二分に加療した部分は数日後に固さを取り戻すが、栄養が行き渡る間もなく再発する。
 体力の問題もあって、予防のハリを打ちまくるわけにもいかず、まさに祈りながらの治療が続いた。
  投薬の効果か、毎月の検査で腎機能の回復、尿蛋白の減少等、小康状態が保てるようになってきたのは唯一の救いであった。
 が、1995年の年始より、あろう事かインフルエンザにかかってしまった。
  食事が摂れず起居も不能。こうなってはもうお手上げである。
しかし幸いなことに、奥さんがどうやら仕事の代理が出来るようになっていたので、やっと入院の運びとなる。

  待ち受けていた医師は、風邪が落ち着くのを待って、早速インターフェロンを投与した。
 1月19日から1/2クール、
 2月3日から残り1/2クール。
高熱、食欲不振などの副作用はあったものの劇的な著効が見られ、まもなく起き上がって院内を元気に歩く姿を見て、主治医も涙を流して喜んで下さったという。

 たった1例ではあるが、島田先生ご指摘のように、大難を小難にする支持療法としての一翼を担えたのではないかと考えている。
 1996年6月現在、180cm近かった見事なプロポーションも15cmほど縮んだとはいえ、体調は極めて良く痛みもなく、ご本人は現状維持ができればと願っているが、血液像に今一つ心配がある由、再度インターフェロン治療を勧められている。
  一方私のほうは、夾脊~骨盤の反応点に適宜に選穴をし、自宅での施灸を指示した。後日良い結果が報告できればと願っている。

  このようにして、骨格に注目せざるを得なくなったのは真に幸いであった。というのも、「骨に触れる技術は未熟だ」とか「邪道」だとかいう意見が、ずいぶん長い間、筆者の妨げとなっていたからである。
 だが試みに問うてみると、次のようにならないだろうか?

 
§ 骨の働きと特徴について 

 骨は、運動器として支持・移動の機能をもつだけでなく、
 (1) 骨髄は血球を作る造血臓器であり、抗体を産生して身体の防御作用に役立っている①。
 (2) 骨膜は、骨質の表面を覆い、多くの血管、リンパ管、神経が集まり、骨芽細胞が出て新しい骨の成長と再生を司っている①。又、骨の栄養は全て骨膜の側から行われる。骨髄も、栄養孔を経て骨膜側から栄養されている。
 (3) 痛覚を伝導する神経にはA繊維とC繊維とがある。
 前者は太くて有髄、後者は細くて無髄で、刺激の伝導速度は遅いが、直接視床に伝えられる。骨膜はこのC繊維の終末(受容器)に富んでいる③。
  また、Lawrence(米)は、鎮痛に特に有効なキーポイントを全身の骨膜上に120ヶ所発見した②と言い、Voglor(独)も骨膜上にデルマトームほど明らかではないが、痛覚の過敏帯が認められる③とも言っている。
等々の背景から、掃骨鍼法は骨格への一療法として大変魅力ある技術だと考えている。
 そのあらましを紹介させて頂きますが、独断と偏見があればお許しを。

《 掃骨鍼法について 》

(1)
創 始 者

 小山曲泉(1912~94) 薬剤師、明治鍼灸専門学校卒。
 同校講師として後進を指導、病弱な奥様のために鍼灸を志し「骨疼き」に対応できる方法として、掃骨鍼法を編み出された。したがって、氏の著書には「神経痛掃骨鍼法」(明治東洋医学院出版部絶版)として“神経痛”の名が冠せられているが、関西鍼灸短期大学(現・関西医療大学・教授)の黒岩共一先生のご意見、ならびに筆者の臨床体験からも不要と考え、表題のように「神経痛」を削除して示した。

(2) 掃骨鍼法についての見解
① 鍼灸における外科的特殊療法である。
② 多様な神経症状に有効。
③ 師は病態の終末を骨の老化性枯孔(ここう)と呼んで治療ポイントを骨~骨膜上に求めている。
④ 治療の帰転は病変からの可逆性。

(3) 同法の手技

押手:圧痛、硬結、運動障害、自覚症状などを目標に、病巣を最短距離で按圧、把握。
刺入:筋、軟部組織の傷を最小限に病巣にジャストミート。
手技:局所の病態、患者の反応を確かめながら、病巣を蚕食する様な細心の雀啄術。
 その感触はジャリジャリ、ポリポリ、ガリガリ、ネバネバ、ギシギシ…。鍼に食つくようだったり、トランポリンのように跳ね返してきたり…。筆者は、できるだけこの様子を患者に伝える。すると患者もナイスキャッチしてくれる。
 そして期する所はひたすら血の巡り。

《 骨格ケレン 》
 
(1) その療法
 建物の汚れ落としを「ケレン」と言うそうである。
 不摂生や運動の過不足による、極めてアンバランスな筋、軟部組織の中で傷つき汚れ栄養も貰えず、ダブルパンチ・トリプルパンチを食ってかわいそうな骨格。
 その骨格の分解掃除(?)を称して筆者は「骨格ケレン」と名付けた。

  アメリカのRene Callietはその著書④の冒頭で、「医学的治療を求める患者の大部分は、身体の動く部分の痛みと機能障害である」と述べている。
 そこで 「痛み・不快感がなく、支持性・安定性に富み、良く動く骨格アラインメント」という理想的な身体の再構築を目指して、次のような療法を提唱したい。

第一段 脳と末梢をつなぐケーブルの通過点、頸部・項部をほぐす。
第二段 自律神経、脊柱起立筋などのターミナル(とりわけ多裂筋/夾脊穴)をほぐし、脊椎諸関節を緩め、内臓の働きを高め、自浄作用を促す。
第三段 掃骨鍼法の得意技、主訴に対応する。

 第一・第二段は定期的な健康管理や疲労回復に、
 第三段は、ADLの改善に抜群に効く。

 掃骨鍼法運用上の諸注意!!!
① 炎症性、急性期、神経症的な人、体力低下が著しい時、胸部疾患のある人には留意。
② 単なる深バリ、強刺激を目論んではならない
骨格の認識を深め、生体に再生をお願いするような心遣いで。
③ 用鍼は、現在使用中のものから必要に応じて持ち替える。
 筆者は慣れた人の場合、寸6-4番、2寸-8番の硬質スーパー鍼を
主軸に、上・下5~6段構えの用意をしている。
  ♬ ディスポ鍼 時に応じて鍼キープ 消毒念々 自他を防衛
  ♬ 急性期 炎症あれば時期を待ち 心静かに 錆削ぎ落とす
④ メンケン(一過性の加療反応)について
 疲労物質が沈着していく逆を考え、生体が認識しなくなった、もしくは認識しても、お手上げ状態のサビ・古傷を掻爬し、新しいキズ(炎症)に置換する。
 そこで異物は、ふやけ、溶かされ、血流に乗って、肝臓、腎臓で解毒→排泄となる。
 生体の化学処理はおよそ2~3日かかると思われ、したがって加療反応(メンケン)は、このお掃除中と考えて頂く。
 こうしてサビが減ってくれれば、それだけ反応の時間は短くなり、限りなく健康体へと近づいていく。
  この理論を肯定し体感して下さる患者さまが増えつつあって嬉しいのだが、ここでひとつ反省。
  ♬ 今満ちた すでに足りたと顧みれば 行く手は遙か 未だ道の辺 

  《 ゴマメの歯ぎしり 》(以下の金額は1996年のもの)

 患者、術者とも納得のいく料金設定はできないものか。
徹底した「治療」を目標とする時、現行(健保なら、鍼灸2術で1495円、労災でさえも3980円)では、術者に対して猛烈なボランティアを強いている。
 もしくは優良な治療が放棄されるのでは?
しからば自費? 
患者さんのポケットマネーでは、慢性疾患に対して自ずと限度がある。
  それとも、鍼灸は富者の贅沢としてのみ、効力を発揮しているのか?
医療として社会のニーズに応えるべく、全国レベルで患者さまを紹介しあえる技術集団になれないものか・・・・。

  鍼灸師会には、遅ればせながら1994年、スポーツ障害の研修を機に入会させて頂いた。
鍼灸師魂に火はついたものの、いまだ井の中の蛙である。今後とも、多方面からのご指導ご鞭撻、よろしくお願い申し上げます。


  〔追  記〕
 文中の多発性骨髄腫のH.S.氏は、1999年11月、残念ながら逝去された。
往診の距離的な問題、健保扱いの困難、鍼灸師ネットワークの欠如などから、小康状態を保てるようになると中断を余儀なくされ、最終段階で依頼を受けた時には、ひたすら補鍼に努めるのが精いっぱいであった。
  (『医道の日本臨時増刊No.3』「在宅ケアの現場で活躍するあ・は・き師たち5」医道の日本 153~157頁参照)
 が、ご家族の支え・ご本人の信念から、生命(いのち)ギリギリまでご家庭にあって、家業を引き継がれた奥様を支援されていた。大往生であった。  合掌。 


<
引用文献>

① 人体解剖図説Ⅰ運動器 kahle/Leonharot/Pkatzer著、
   越智淳三訳、文光堂
② OSTEO PUNCTURE Anne N. Lowenkopt著、
   山田新一郎抄訳、明治東洋医学院機関誌、1979年11月号
③ 内科疾患の神経領帯療法 F.ディトマー、E.ドプナー共著、
   間中喜雄訳、医道の日本社(絶版)
④ 軟部組織の痛みと機能障害 Rene Calliet, M.D.著、
   荻嶋秀男訳、医師薬出版 

● 筆者略歴
1945年、熊本県に生まれる。
1964年、大阪府立西野田工業高校工業デザイン科卒業。
1980年、明治東洋医学院専門学校鍼灸科卒業。
   学業のかたわら眼科医院、内科医院、整形外科医院などに就業。
1982年、阪急神戸線神崎川に小橋鍼灸院(はり・きゅうのこばし)開業。
2000年、現在地に移転。 こばし鍼灸院と改名。

 ● 連絡先(令和3年現在)
〒532-0025大阪市淀川区新北野1-3-4-409
淀川リバーサイドマンション4F こばし鍼灸院








                                骨格は 身体の台地 掘り起こせ 潜在治癒力 蘇るまで

#99.《掃骨鍼法はコロンブスの卵》 再掲

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