こばし鍼灸(掃骨)院 | 日記 | 124.痛みに寄り添う/野田文隆

キズを以って傷を制す。線維芽細胞たちの再性能を最大限に活かす《鍼は世界で最も小さな外科処置》

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こばし鍼灸(掃骨)院 の日記

124.痛みに寄り添う/野田文隆

2014.06.01

■ そこにある痛みに寄り添う 医師は語りに耳を傾けよう   
  「こころ=正常という神話」               野田文隆      
         (
共同通信社 2012/7/20 配信)              


 痛みとは不思議なものである。小さな棘(とげ)一つ刺しても
猛烈に痛がる人もいれば、少々のけがをしても痛がらない人もいる。
痛みに対する感受性は極めて個人差が大きい。


 また、痛みは必ずしも物理的な傷がなくても起こることがある。
典型的なのが幻肢痛(げんしつう)と言われるもので、手を切断した人が
指先が痛いと訴えることがある。
医療が扱う最も困難な課題の一つがこれらの痛みである。

 病棟や外来で慢性の痛みを訴える人は山のようにいる。
しかし、現代の医療はその痛みそのものを聴き取るより、まずいろいろな
検査を駆使して痛みの原因を調べ、エビデンス(科学的証拠)に基づく
痛みの原因が発見できない時は、痛みはあるはずはない、あるいは
痛みがあるほうがおかしいと判断しがちである。

 さらに訴えられると医師は目を背けてしまうか、薬を出し続けるか、
「心理的原因でしょう」と言う以外ない。
でも、患者にとっては痛みは
「そこに」あるのである。
 このギャップを、
あるアメリカの人類学者は、医師は「疾患」を見つめ、
患者は「病」を
語ると称した。

 医学は日々素晴らしい発展を遂げているが、そのスピードが増すほど、
医師は「疾患」を追い求め、患者固有の「病」の語りに耳を傾けなくなる。
痛みはなくならなくても、痛みに寄り添ってくれる姿勢が
あれば患者は
随分と癒やされるはずである。

 しかし、現代の医療体系は医師にそのような余裕を与えていない。
こころの痛みに対しても、疾患として診断をし、投薬をすることが全盛である。

 震災でこころ傷んだ人たちはすべてが診断され、投薬されることを
望んでいるわけではないはずである。果てしなく続くこころの痛みには、
心的外傷後ストレス障害(PTSD)という医療用語を使う前に、
癒えようが癒えまいが、「痛い、痛い」という声をきちんと受け止め、
逃げず、立ち入らず、聞き手が「そこに」いることが必要なのでは
ないかと思う。(精神科医、大正大教授)



※野田文隆氏の略歴

 のだ・ふみたか 48年宮崎県生まれ。東大卒業後、コピーライターを
経て千葉大医学部に進み精神科医に。多文化社会における心のケアの
専門家で、在日外国人や在外日本人のメンタルヘルスにかかわる。
著書に「マイノリティの精神医学」「間違いだらけのメンタルヘルス」など。
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我々の鍼灸然り。
因みに、『問診・聴き取り』と云う気配をできるだけ感じさせない様にして、
初診の患者さまのお話を聞かせて頂いたことがあった。
 発症の様子から始まって、医療機関・鍼灸院・整骨院等の受診遍歴、
その結果やその間の想いなど、気が済むまでに3時間を要した。
終了したのは、語り尽くしたせいか話疲れたのかは定かでは無い。
 何れにしても、求めて得られなかった不平不満の姿がそこにあった。
一方、我々の『鍼』と云う道具は、患者さまの病巣を探り出すアンテナ兼
治療器具という便利なツールなので話は早いし助かる。 

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