こばし鍼灸(掃骨)院 | 日記 | 125.【ワクチン・予防接種の真偽】お友だちKikutani氏の書き下ろし ※読むなら全部、真剣に読んでね。

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こばし鍼灸(掃骨)院 の日記

125.【ワクチン・予防接種の真偽】お友だちKikutani氏の書き下ろし ※読むなら全部、真剣に読んでね。

2014.06.07

≪ワクチン・予防接種の真偽≫
 
お友だちKikutani氏の書き下ろし ※読むなら全部、真剣に読んでね。
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
「吹き上がるなら論理的に・・・それが基本。

 長くなるんで、あんまり書きたくなかったけど。。。
 長文を読みたくないなら、読まないほうが良いよ。。。

 盟友の小橋先生が、子宮頸がんワクチンに喝を加えていらっしゃる。
子宮頸がんワクチンに限らず、予防接種の是非はいつの世も議論の
対象となっている。
 では、何故是非が議論されるのだろう?

 
そもそも、予防接種というものの歴史を紐解いてみる。

 歴史的記述から紐解いてくれた学者さんたちによれば、その起源は
紀元前1000年頃のインドが最初のようである。
その後現代の形の原型となったのが1700年代後半のようである。
 最初に行われた予防接種は天然痘であり、これは成功の歴史と
言えるだけの効果を挙げたのは確かだろう。
 ヨーロッパにおいて死因の20%を占めていた天然痘は、1978年を

最後に死の病気ではなくなった。
そして、この効果の高さがゆえに、ワクチン接種というものが人類にとって
有用であると考えられるようになったと考えられる。

 つまり、歴史的背景から、多くの患者となる人間が考えるワクチン接種の
メリットとは、
『接種すれば二度とかからない』または
『発症しても治る』という点であるといえる。


  
では、現代日本で義務化されていたり、是非が議論される予防接種は、
そのメリットという点をクリアしているか?


 そもそも、そのメリットを確実に確かめられる予防接種というものが、
存在しないという印象を、多くの人が拭えないのではないだろうか?
それは、当たり前であるといえる。
 
 例えば、インフルエンザワクチンが分かりやすいので、その辺で考えて
みよう。
『インフルエンザの予防接種を打ってたんで、今年はかからなかった』
『インフルエンザの予防接種を打ってたんで、今年は症状が軽かった』
こういう表現をする患者さんと話すことは多々ある。
しかしながら、一方で・・・
『今年は予防接種も何もしてないけど、インフルエンザにならなかった』
『今年は予防接種も何もしてないけど、症状は軽かった』
 これも存在している。
 で、個人的な実感としては、その比率は、むしろ接種してない人のほう
が多い。

 何故こういうことが起こるのか?
 そもそも予防接種とは、集団感染予防を目標としているので、
個々人の感染を予防することを目的としてない。
この事実を知らない人が圧倒的多数である。

 つまり、Aさんという人が今年予防接種を打ってかからなかったとしても、
同じAさんが今年予防接種を打たなかったときは、どうなったのか?
というデータを取ることは不可能なため、予防接種そのものが有効な
予防手段となっていると判定することは、この形のデータでは出来ない。
 だから、Aという100人の集団とBという100人の集団をつくり、
Aには接種し、Bには接種しないという形で計測し、その結果BよりもAのほうが
感染者数が少なかったというデータの取り方で、その予防接種の有効性を
示しているに過ぎないわけだ。

 つまり、一般の人が考える『接種すればかからない』ということには
絶対に当てはまることは無い わけだ。
 どういう形であれ、感染する人は必ず各集団に居るので、感染しない
という保証をする予防接種は存在しないといえる。
 そして、『発症しても治りやすい』というメリットの面も、結局どういう集団であれ
重篤化する人はいるので、これまた、個々人レベルで考えれば、メリットが
あるとは到底言い難くなる。
 さらに大きい問題点は、ワクチン接種することで、免疫が維持するものと、
維持しないものがある という点だろう。

 天然痘の予防接種のように、二度とかからないという条件をクリアしているものは、
殆ど無い と言える。
 代表的なものとしては、やはり身近なインフルエンザワクチンだろう。
その計画性の変転ぶりには、節操が無いワクチン販売会社の戦略が
見え隠れして実に興味深い。

 接種しても『結局感染するじゃん!』という意見が強くなれば、
『いや、インフルエンザの流行には毎年型変わるので、その予測は難しい』
と言い訳し、混合ワクチンを作っても
『やっぱり感染するじゃん!』という意見が強くなれば、今度は
『いや、2回ぐらい打てば予防能力が高まる』とのたまう。

 もちろん、そういう変遷を辿るためには、お抱え学者と呼ばれる連中による
情報操作 も一役買っているのであろうが、そもそも論として一般の人達が、
前述の事実を知らないし、また、それを伝えてしまうと接種する人が大幅に
減少することが懸念されるため、あまり声を大にして公言出来ないという
大人の事情もあるのだろう。

 あえて、大人の事情と書いたのには、実は意味がある。

 集団接種による集団予防が効果を及ぼすには、集団の中の最低でも
3割以上が接種しないと、何とかギリギリ科学的根拠となっている
集団予防効果さえ得られなくなる からだ。

 これは、病気の予防という観点で飯を食う・・・もとい、活躍されている
学者様や製薬会社様達にとっても、また、本気で予防接種が必要と
信じている信者さん達にも、また、予防接種の社会貢献面にとっても、
問題となりやすい。

 騙されていても接種してくれる人が、日本人の3割以上は居てくれないと
日本全体にとってはそこそこ困る。というわけだ。

 実のところ、接種してない人ばかりになってしまうと、重篤化する人が
増えるかどうかはデータが無いのでわからない。

 しかしながら、過去のエビデンスを見る限り、集団予防効果、その
一点のみにおいては、予防接種は有益性があるといえる。
 国にとって、個々人がどうなろうが、知ったことではない。
要するに人身御供となる人口が日本全体の3割以上となるように保つ
必要性が、一応エビデンス上においてはあるわけで、そのためなら、
平然と嘘のデータ(後述)でも並べ立てる。それが国家としての正しい観点
というわけだ。

 簡単に言えば、10人の集団中、3人を犠牲にして、7人の命を助けるのは
正義。という観点 を国が持つことは正しいというわけだ。


 次に是非を問う上で、次に問題となるのは副作用であろう。
  実際天然痘時代も、それなりに副作用は問題となってきたし、
現代においても様々な予防接種による副作用は問題となってきた。
 私がたびたび引き合いに出してきたインフルエンザワクチンも、過去に
最高裁が国家に対し損害賠償命令を出した脳障害という副作用がある。
 

 で、ワクチンの副作用は重篤な後遺症を残すケースが多いのが特徴 である。
もちろん、ワクチン接種を義務化した国家が、それを軽々しく認めることは
無い。例えば、最初にこれを書こうと思ったキッカケである子宮頸がんワクチン
における副作用調査が、その代表的な例と言える。
 暇な方なら是非一度厚労省のHPで、このワクチンの副作用調査に
関するアンケートの内容を見てもらいたい。
私も一度見たことがあるが、もう一度探すのが面倒臭い。

 おそらく厚労省HPで、『子宮頸がんワクチン 副作用』とでも検索すれば、
その件に関する会議の議事録やデータが出てくるだろう。
その中から、中高生に実際に行ったアンケートの内容も出てくる。

 ここで注意したいのは、アンケートの結果を統計したデータを見るのではなく、
アンケートの内容を読んで欲しいということだ。
そのアンケートの内容を見れば、『こんな内容だと誰でも当てはまるだろう』
ということに気づけるはずだ。
 で、その内容を元に、『多くの中高生に起こりやすい事象だから、問題ない』
という結論を出した わけだ。

 こういう事は、国だけでなく地方自治体でも日常茶飯事のように行われている。
 国が集めて行う有識者会議とは、最初からデキレースで、有識者を
集める際には、すでにその集められた有識者は、国の望む結論を
持っている有識者が過半数を占めるように集められている。
 そうしないと収拾がつかないからという面もあるが、有識者が結論を
出したのだからという建前だけが必要であって、国の意見に合わない
意見なんぞ、そもそも必要ないというのが本音である。
 だから、この手の事態が起こった場合も、副作用とされては困る側の
人間のみを徴集するのは、当たり前であり、副作用とはならないように
データを収集するのは当たり前 というわけだ。

 こういう手法は医薬品の有効性や副作用を統計する際にもしばしば
使われる手法なので、覚えておくと良いだろう。

 所詮科学とは、結果ありきでスタートするのが、作法である。
数字を信用しすぎないこと。それが自然科学の現場であり、実態だ。

 おっと話が逸れた。
  さて、以上の点からも分かると思うが、予防接種を受けることは、
自分自身の予防をすることではなく、自分の周りの人間の予防のために
犠牲になるということ であり、決して
『二度とかからない』
『感染しても治りやすくする』という目的ではない。
そこを間違えてはならないということである。

 そして、副作用と言うものは、どれだけ声を大にして騒ごうとも、
大規模な統計データでも出さない限り、国がそれを取り上げることは
無い ということだ。
  副作用は怖いし、自分にとってメリットが無いと思うのであれば、
反対集会なんていうくだらない活動をするより、統計データを収集し、
具体的に国家を裁判なりなんなりで訴えるか、または、せめて自分や
自分の周りの人間に打たせないようにするかしたほうが良い。
  ただ、打たない人が7割を超えると、結果として自分に跳ね返ってくる
可能性が高いという事も忘れてはならない。
 要するに、予防しようとする病気となることを許容するかしないか・・・
その視点を持てるかどうか・・・という点を考慮する必要性があるという
ことではないだろうか?
  私的には、子宮頸がんワクチンは、集団予防という観点においても、
デメリット面で考えても、特に必要性が感じられない。
何か他の力が働いているように感じてならない。
この辺はもう少し探ってみる必要性があるが、一般論として、是非を
決める際は、もう少し実態を探ったほうが良いということは適切であろう
と思う。

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最後までキチンと読んで下さって、有り難うございました。
オババでは展開できない議論。Kikutani氏の見識に深謝致します。
                              小橋正枝 拝

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