こばし鍼灸(掃骨)院 | 日記 | ⇒91.《令和三年のお年賀欠礼》

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こばし鍼灸(掃骨)院 の日記

⇒91.《令和三年のお年賀欠礼》

2020.11.19

《令和三年のお年賀 欠礼させて頂きます》
元記事=Facebook20.11.19より=
 我が母 熊本バァバが11月17日午前8時22分、105歳に堂々と決別して、『千の風』となりました。診断書には『老衰』と。
 数日前のホームからのお電話に、「食欲の無かとですよ。口元に近づけあげても『要らん要らん』て、手ば振んなさって。お口の中ば見るなら潤いの有りますけん、まだ期待の出来ますばってんが……。」

 そして17日午前。ホームを介して主治医から直接のご説明。
この日、こばし鍼灸院ご予約患者方のキャンセルが不可能だったため、通夜の時間に間に合わないという失態は有ったものの、一晩ゆっくり水入らずで語ることができました。
 翌18日は、これぞ小春日和という穏やかな一日。

 不知火の海を見下ろす小高い丘の上で、ふるさとの空気を吸って、方言そのままで会話出来るお仲間たちと…。
  大阪に連れて来ていたなら、こうは行かなかった。

有難う、ホーム蕉夢苑の皆々さま。
有難う、熊本県宇城市。
そして地元に有って、一方ならぬサポートを続けてくれた従兄弟。
有難う 有難う 有難う…。
  自由になったら、私も此処に来たい❣ 帰りたい❣❣

 #91.《令和三年のお年賀欠礼》


=Facebookコメント欄にて=

Aさん:めでたくもあり、めでたくもなし。でも、こうありたい人生…。
私  : いや~、めでたいめでたい❣ 
神妙な弔辞が滑稽に思えるくらいでした。
  ホームの担当者も、「こぎゃん手の掛からん方も珍しかったです。大概は『ここん痛か。あすこん辛らか』て言わすばってん、宮木さんな何かに付けて合掌ばしなさって、『有難うございます』って言いよらした。ホンナこてやりやすうて、こっちの方が『有難うございました』ですたい。」

Bさん:長寿でしたね!~我が母も特養暮らしで、満104歳むかえました。
私  : Bさま。有難うございます。我が母は大正5年生まれで数えの105歳。同い年だったかしら?
  ほのぼのしますね。

Bさん:大正5年、同じでしたね‼️(@^^)/ 母の誕生日、特養のガラス窓を介して……。
  今年はコロナで直接会えないのが物足りなかったですが~~。


Cさん:天寿を全うされて、素晴らしいお別れでしたね。合掌

  不謹慎かもしれませんが、大きな拍手でお送りしたいです。先生の投稿にも感謝。^_^
私  : C先生、有難うございます❣ 有難うございます❣

Dさん:心より‥お悔やみ申し上げます。

私  : Dさま、有難うございます。おかげさまで、我ながら驚くほど爽やかです。

Eさん:お母様御逝去お悔やみ申し上げます。天寿を全うされましたこと羨ましく存じます。
  大変お疲れ様でございました。

私  : Eさま。有難うございます❣
  おでこやほっぺをなでて上げましたが、不思議なくらい悲しくなかったのですよ。
  「私も行くからね。千の風になって、一緒に翔び回ろうね」って。


Fさん:老衰で逝けるのは理想的ですね、私には無理です。

私  : Fさま。首筋・背筋…針打ちまくって上げたいな。せっかくの良い食材で出来た元気な血液・リンパ液を、お身体の隅々まで届けてあげたい。皆さん踏みちゃんこにしたままの畑で、毎日毎日収穫し続けている状態ですもの。

Gさん:まあちゃん お母さん大往生やったね。遠く離れてたから何かと気掛かりやったと思いますが、
  最後の最期迄、ご自分の意思、伝えられてほんまにご立派やったね。
  私らも長生きするならこうありたいね💃

私  : Gさま。有難うございます。
  母には大好きな小さな絵本が有ってね、目を使うのが大儀になってからでも、毎日繰り続けていたらしい。かなりボロボロになっていたので取り替えてあげようと、買っておいてよかった~。
  大好きな頁を開いて胸の上に置いてあげました。


Hさん:お淋しいと存じます 心からお悔やみ申し上げます

私  : H 先生、有難うございます。
  潮の香の漂うようなあのホームで、まだのんびりしているような気がしています。

Iさん
105才を目標に頑張りたいと思います。とても無理ですが・・・。
  偉大な目標をいただきありがたく存じます。

私  : I先生、有難うございます。
  自分の歳にも毎年驚かされますが、母には”一病息災の教師”として励まされて来ました。
  これからもメゲずにがんばります。

《末っ子が母(私)の記事をシェア。そしてコメント》
https://www.facebook.com/profile.php?id=100007989815432

「 母方の祖母です。
  不謹慎かもしれませんがこのご時世の熊本で、災害でなく、病気でなく、
  老衰で亡くなった祖母は凄いな、と単純に尊敬しています。

  おばあちゃん、ありがとうございました。          合掌 」
                 101歳の折のバァバと孫 
                  画像に含まれている可能性があるもの:2人、クローズアップ
 

Jさん:ご冥福をお祈りします。
  先生は寂しくなりますが、お母様の分まで生きてくださいませ。
私  : はい、J 先生。
  数年前に生命保険屋さんがね、母の存在を知って「80歳・90歳で区切るより、少し割高でも終身になさい」と言ってくれました。80歳で区切っていたら今頃ハラハラしていたでしょうね。

Kさん:まーちゃん、お母さま天国に行かれたんですね。エライ、エライ、昔の人は本当に尊敬です。
  きっと今頃はゆったりとほほ笑んでられるよ。そうだと思う、熊本で最後まで寿命を全うされたのは、神様にほめられるよ、きっと!
私  :えみちゃま、有難うございます。皆さんにコメント頂いて、「あら~、ほんとに風になっちゃったんだなぁ」と再認識しています。
  未だに、あの小高い丘の明るい部屋で、大好きな絵本を繰っている姿が見えるようです。

Lさん:凄いですね。理想的な逝き方です。
私  : はい、有難うございます。結果的には自然体だったかなぁ。踊り(盆踊りに毛が生えた程度の)が好きで、おだてられれば歌(お得意は「岸壁の母」)を歌い……。
  遍歴は有ったものの、晩年は生まれ故郷に戻って行ったことが、何よりも良薬だったと思います。

Mさん:あらら、私も実母が亡くなり、49日を済ませたところです。心の整理は出来ていません。
  小橋さんは、整理出来ている感じで凄いなと思います。1周忌までには、心の整理を付けたいなと思っています。
私  : M先生
、お悔やみ申し上げます。
  私達は、遠く離れた暮らしでしたから、死に目に会えない覚悟はできていましたし、母の余生は母自身が納得の行くもので、思い残すことがなかったのだろうと思います。
  穏やかな顔で眠っているようでした。


Nさん:心よりお悔やみ申し上げます。105歳のご長寿は素晴らしい限りです。
私  : N先生。ありがとう御座います。
  今年はコロナ騒動も有って、距離的にも時間的にも隔たりは大きかったけれど、母自身は大好きな生まれ故郷の営みに満足だったのでしょう、とても穏やかな顔をしていました。














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